2016年4月24日日曜日

電力業界資金提供:任意団体を後方支援、スタッフ派遣も


2013年3月15日(毎日新聞)

原子力委員が設立したNPO法人への電力業界側からの多額の資金提供が判明したが、そうしたNPOの中核とも言える団体など二つの任意団体を、電力10社で作る業界団体・電気事業連合会が資金面で支えていた。事務局は東京電力の広報担当者らが担い、メンバーには国のエネルギー調査会の委員も多い。 国や電気事業者は「後方支援」に徹し、中立的にも見えるこうした団体を前面に出すことで、原発容認に向けた「プロパガンダ(思想宣伝)」を進めた構図が浮かぶ。
【町田徳丈、武本光政】

二つの任意団体は「フォーラム・エネルギーを考える(エネルギー・シンク・トゥギャザー=ETT)」と「首都圏エネルギー懇談会(エネ懇)」。

ETTは90年、消費者の立場を強調し、経済評論家で経済企画庁長官も務めた故・高原須美子氏を代表に、作家の神津カンナ氏(震災後に代表)や文化人ら約40人で発足。その後、国が原発への理解促進のためNPO法人を活用するエネルギー政策基本法(02 年)を定め、NPOトップらをメンバーに招き、中核的な存在となった。内部資料によると、中心メンバーで構成する「企画委員会」には、電力業界側からの多額の資金提供が判明したNPO法人「あすかエネルギーフォーラム」の設立者でもある原子力委員の秋庭悦子氏(64)も加わっている。

ETTは全国で原発や放射線を巡るシンポジウムをNPOと共催するなどし、メンバーのスポーツキャスターやタレント、評論家、学者らを講師やパネリストとして派遣。一時期は原子力などのエネルギーを広報する民放ラジオ番組も提供し、東日本大震災の前年にはあすかと連名で全国紙に「放射線ってなあに?」と題した全面広告も掲載した。

決算書などは公表していないが、ある中心メンバーは「東日本大震災前の事業規模は年2、3億円で、電事連がスポンサーだった」と明かす。事務局は日本生産性本部(産業界と労働界、学者らで組織する民間シンクタンク)に置いていたが、事務局スタッフは電力業界が担い、東電は05年7月~11年4月、柏崎刈羽原発広報部長を2代続けて「事務局部長」に派遣していた。

国との結びつきも強い。全発電量における原発の比率目標を決める「長期エネルギー需給見通し」を策定する国の総合資源エネルギー調査会需給部会は 09年8月時点で、22人の委員のうち7人をETTメンバーが占めた。他の全部会にもメンバーが所属し、秋庭氏も原子力委員就任前、同調査会の原子力安全・保安部会、電気事業分科会原子力部会などの委員を兼ねていた。

一方、エネ懇は04年、同調査会会長などを歴任した茅陽一・東大名誉教授を代表に発足。茅氏は当時、ETT代表も務め、エネ懇の事務局はETTと同じく生産性本部に置かれた。ある中心メンバーによると、震災前の事業規模は年1、2億円で、やはり電事連が提供したという。

エネ懇は、東電による原発の「トラブル隠し」発覚(02年)による原発への不信感を払拭(ふっしょく)しようと、首都圏の商工会議所の女性会員と福島や新潟の女性との交流会や、自治体主催の環境博などの講師としてタレントの派遣事業を展開した。

震災後、九州電力の「やらせメール」の舞台となったケーブルテレビの番組制作に生産性本部が関与し批判を受けエネルギー事業から撤退したことで、両団体は事務局を移し、活動は以前ほど活発でなくなったとされる。

だが、昨年10月、ETT事務局から各メンバーに送られた電事連の資料には、当時の民主党政権が示した 「2030年代原発稼働ゼロ」に対し、こう記してあった。「安定したエネルギー資源の確保が困難になるなどの課題について、納得できる解決の道筋が示されていません。私たちは、『原子力発電は引き続き重要な電源として活用していく必要がある』と考えます」